卓球で国際交流 国際貢献
グローバル化が進むこの世の中。卓球界でもまったく同じことがいえる。90年代前半位までは国際大会も少なく、選手やスタッフが海外で経験する機会はそれにほど多くはなかった。だが、現在ではプロツアーをはじめ、ジュニア以下の大会も増え、海外遠征をする機会が大幅に増えている。つまり、国際的に通用する選手、コーチ、役員などが求められる時代になってきたということである。
さて、今回ご紹介するのは、海外青年協力隊(ジャイカ)の活動でアフリカのザンビアという国で卓球の普及・発展に尽力してきた藤井貴文さん。
藤井さんは明治大学卒業後、2年半にわたりザンビアで卓球の指導に関わる。文化や考え方が違う異国の地でどのような活動をしてきたのか振り返ってもらった。
「大学3年の就職の時期に、青年協力隊で卓球を教えに行く方と出会い、そういうものがあることを知りました。かつてから外国には興味があり、色んな外国に遠征に行く機会があって、その時に自分が外国で過ごしてみたいなという気持ちがありました」
―実際行ってみて、最初はどうでしたか?
「最初は卓球を教えるまでに至らないというのが現状でした。まずは言葉の問題。英語なので何とかコミュニケーションはとれるのですが、ザンビアイングリッシュが聞き取れなくてそれを聞き取るのに3ヶ月から半年くらいかかり、もちろん自分が完璧に話せるようになったのは1年過ぎてからでした。
そして、大きいのはやはり文化の違いです。日本人とはまったく考えていることが違うので、時間の感覚だったり、練習に対する意識の問題だったり、どれくらい努力するのが努力なのかということ。日本では時間は守るのが普通じゃないですか。向こうは1時間、2時間遅れても問題ないです。集中力は向こうの人の100%が日本人の20%以下ですね。その辺が根本的に違うので、それをまず理解しなければいけないと思いました。それを理解するのにも時間がかかりました。教える最初の切り口は彼らを理解することからはじまりましたね」
―当然、苦労の方が多かったと思いますが、その中でも成果があったこと、喜びがあったのは?
「派遣の理由は卓球の普及活動でしたが、基本的にはそうなのですが毎日卓球を教えているだけではあまり成果がないだろうと、何か催し物をした方が人々が食いつくので、1年過ぎたくらいの時に明治大学と早稲田大学の方から大村、佐藤、小川選手をザンビアに呼びました。その理由は、彼らはすごいプレーを観たことがないのだと思ったからです。彼らのレベルの高いプレーを見せ、そのあと近隣の学校などをまわって普及活動をしました。その後、卓球をする選手が増えましたし、彼らが考える卓球のスタンダードより高いので、彼らの考え方も変えられたと思います。それが向こうでの成果です」
―食事などは?
「中国の方がたくさんいて中華料理が食べられるし、お米もあるので問題はありませんでした」
―病気などは?
「僕は、大病はしなかったですね。友人にはマラリアになったり赤痢になった人がいましたが…」
ところで、3月の東京選手権にザンビアの選手が出場した。
アイザック・バンダ選手。藤井さんの仲間が募金を行い彼の来日が実現した。
―ザンビアの選手を日本に呼んだきっかけは?
「ザンビアのレベルの低さの理由として、情報量がないことがあります。前回は日本から選手を呼んですごいプレーを見せて情報を与え、それで多くの方に見せて考えのスタンダードをあげることができたが、実際、ザンビアの卓球界が伸びていくためには一人の指導者が必要だと考えました。ジャイカの協力は4〜6年くらいなので、その後、卓球がなくなってしまってはそれまでの努力が無駄になってしまいます。そこで、指導者を育てるという意味で、また、情報を日本から帰ってもらうというために今回一人の選手にめぼしをつけ連れてきました。彼には日本でどういうことを感じたのかをザンビアに帰ったあとにほかの選手に伝えていってほしい。それによって継続性が生まれるのではないかと思います。そのためには技術が一番ではない。人の気持ちがわかるとか気が配れるとか、そういう人間的なものとプレーヤーとしての平均が取れている選手ということで彼を呼びました」
バンダ選手は残念ながら初戦敗退。しかし、この来日では試合だけでなく多くのことを学んだようだ。
「日本の人はみんな友好的でいろいろ助けてくれました。試合はとても素晴らしかったです。しかし、自分がいいプレーができなくてあまりよくありませんでした。ちょっと緊張してしまいました。しかし、私の今回の試合の結果を受け止めて今後の自分の進歩につなげていきたいと考えています。
これからはザンビアに帰って自分がコーチになって、試合中にファイトが出せる選手を作りたい。ザンビア人はとてもおとなしく、どういう風に試合を戦うのかわかっていません。なかなか自分の気持ちを出せない。ファイトある選手を作って試合で勝てるようにしたいし、もちろん練習中も集中することを教えていきたい」と力強く語ってくれた。
だが、ザンビアは世界的に下から5本の指に入るレベルと藤井さんは話す。経済レベルが低く、国際大会に出場することはできない。バンダ選手にはコーチングだけでなく、今後も様々な困難が待ち受けているはずだ。
だが、いつかきっと世界選手権の会場でバンダ選手と会えるような気がする。
―2年半行ってきて一言で言うと、何を学んで、これから何をしていきたいのですか?
「日本にいる時からもちろん人との付き合いが大事だと理解していました。それが人生の基本だと思います。それが向こうに行って再確認ができました。ザンビアの方と接するには自分から心を開いて接しないと彼らも心を開いてくれないし、自分が継続的に彼らにアプローチすることでいい友達になれますし、それは日本人でもザンビア人でもどの人種でも人種を超えて共通だっていうことを、日本にいる時は頭では理解していたが、実体験として理解してなかった。向こうに行ってそういうことを理解して、今まで自分がお世話になった卓球界でいろんな方にお世話になってきたなと改めて向こうで確認しました。
今回帰ってきてからも多くの方にご挨拶に行かせて頂いたり、友達に声をかけてもらったり、すごくありがたいなぁとおもいます。2年半行っていたので帰ってきたら友達が誰もいないんじゃないかなって懸念があったのですが、温かく迎えてくれる人がたくさんいて、また、今回のプログラムで多くの方と新しく知り合いになれましたし、卓球を通してザンビア人との向こうでの生活を通してでもそのようなことを学んだと思います」
―一番大事なのは、日本の代表として国際交流、国際貢献し、自分の経験としてもこれからも生きるし、今後もそういう人が出てほしいですね…。
「そうです。実際いって何をやるかどうかは自分次第です。自分が100%良かったとはいえないと思いますが、この機会を得られたというだけでもすごいことだと思います。外国に滞在して、現地の生活に使って、向こうの感覚でものごとを話してと、そういうことは日本にいては絶対にできないことなので…」
海外に行くことは簡単な世の中になった。毎年、数多くの日本人が海外旅行に出掛けていく。
しかし、海外に行くことと海外で暮らすことはでは大きな違いがあるのだろう。私自身、幸いなことに海外に行く機会には何度も恵まれてきた。しかしながら、海外で暮らした経験はない。
藤井さんの2年半は、彼の人生の中で実に濃密な時間だったに違いない。

